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【備忘録 思索の扉】第五回「歴史研究の作業場 その二」

2017.08.01

義経伝説の近世的展開嘘の歴史語り

昨年(2016年)の秋、拙著『義経伝説の近世的展開―その批判的検討』(サッポロ堂書店)を北海道の書店から出しました。東日本大震災の前になりますが、本学(宮城学院女子大学)のキリスト教文化研究所の『研究紀要』に数年にわたり書いてきた論文が柱となっています。
源義経が死なずに奥州平泉から蝦夷島に逃れたとする、いわゆる蝦夷渡り伝説(北行伝説という)を扱ったものです。これは江戸時代の17世紀後半になって語られ始め、史実をよそおって想像が膨らんでいった「偽史」にすぎません。しかし、学問(歴史学)の外に一歩出ますと、今日でも嘘が真の歴史であるかのようにさかんに喧伝されています。つくられた伝説・物語とはいえ、東北・北海道が舞台となっていますので、歴史(北方史)認識のうえで黙視できないと考え、江戸時代に限ってですが、その生成・展開、あるいは政治的機能について考察を加えてきました。
この義経伝説批判は、本学一般教育の特殊研究という3・4年生対象の授業のなかで、毎年一回は取り上げて講義してきました。義経=ジンギスカン説に飛躍していくこの物語は、学生たちにとってもどこかで一度ならず聞いたことのある話です。江戸時代の文献史料や、蝦夷渡りを真実(事実)とする現代作家の文章などを読みながら紹介していくのですが、史実と物語の弁別にどう切り込んでいけるかが勝負です。
しかし、学生の書いたものを読んでみますと、ロマンを感じるというのはまだ想定内としても、蝦夷渡りを本当の出来事と解して書いているのが毎年何枚かはあります。そのたびに説明が分かってもらえないのかとその浸透・影響の強さに敗北感を味わってきました。虚や嘘でも言葉の力やムードというものがあって、繰り返し語られていますと、それを真に受けて本当のことと信じ込んでしまうものなのでしょう。
いま、世界では「偽ニュース」を意図的に流して、攪乱したり誘導したりすることが問題となっています。また、歴史上のできごとについても都合のよい「真実」を一方的に語り、感情に訴えて対立を煽る動きがあります。「ポスト真実」というのでしょうか。デマを流し、事実をねじまげ、嘘を本当のようにいうのは過去にいくらでもあったことですが、ネット社会ではそれをはるかに超えて情報が氾濫・錯綜し、さまざまな力が働いています。そのことに私たちは無防備で、騙されそうになります。
脱線しかけましたが、義経蝦夷渡り伝説は、なぜ江戸時代に生まれ、今日まで廃れずにきたのでしょうか。義経の死を哀惜する民衆が不死伝説を作り出したのでしょうか。その物語のなかで何が語られていたのでしょうか。はたして語り伝えていくに足る価値のあるものなのでしょうか。嘘だと指摘するだけで済むのではなく、そうした問いを立てて批判的に検証していかないかぎり、いつまでもこうしたたぐいの伝説が再生産され続け、無化できないと考えてきました。
大学の一般教育(教養教育)には事柄を認識し嘘を見抜く判断力、それをリテラシーといってもよいでしょうが、そういった力を養う役目があります。ネット社会ではそのことの重要性がますます高くなっています。とくに新入生にはその点を意識して語るようにしています。歴史学では事実に迫る実証的態度のことを「史料批判」といってきました。歴史を専門としない学生たちに、第一義的には、「事実は小説より奇なり」と最近語っていた人がいましたが、事実としての歴史の面白さを伝えたいものです。同時にそうした批判精神、判断力をどのようにして身につけてもらうかということになりますが、蝦夷渡り伝説もその恰好の材料というわけです。

菊池勇夫(日本近世史)

 

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