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音楽科教授 大内 典

2010.06.04

こんにちは!
音楽科の大内典です。

「典」は「ふみ」と読みます。
「芙美」で届け出ようとしたら、当時(何十年前でしょう?)の漢字制限にひっかかって受理されず、そういう押しつけを嫌う父の反骨精神(?)から、絶対読めないであろう「典」にしたとか。

人様が「え?」というようなところへ首をつっこみたがる私の習性は、この命名からきていると思っていたのですが、最近、どうやらもう一つのDNAが働いていることに気づきました。

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私の専門は、音楽文化学。
演奏ではなく、研究というアプローチで音楽に取り組んでいます。

 

そもそもは本学音楽科、ピアノ専攻の学生でした。ところが、いつの間にやら道が逸れ……(その辺りについては音楽科のホームページ、教員紹介コーナーでどうぞ)、気づいたら、自ら山伏となってその音の文化を追いかけていました。

 

山で修行するから「山伏」。
夏になると、こんな格好で山に籠ります(写真1)。
断食、1週間お風呂なしで山歩き、極度の睡眠不足! そうした日々の後でボロボロなのですが、けっこう清々しい顔をしていますよね。

 

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山伏の儀礼には、法螺貝(写真2)だけでなく、声を含めさまざまな音がとてもうまく使われています。それを追いかけているうちに、ピアノ弾きのお嬢さんが、体力派の研究者になってしまったというわけです。

 

そこから、次なる「え?」へ。

 

外国人の中には日本の文化に強烈な関心とあこがれを抱く人々がいます。
数年前、山伏の研究で知り合った外国人研究者から、
「フミ、あなたの研究を英語で発表してみない?」
というお誘いがあり、お調子者の私は、ついその気に。

理系の研究者と違い、日本人の日本文化研究者が英語で研究発表することは、滅多にありません。私もそれまで、せいぜい論文の要旨を書く程度。
自分の軽はずみをのろいつつ、夏中かかって英語の発表原稿をつくり、ロンドンへ飛びました。そこで欧米流のダイナミックな思考方法に触れ、こういう学問風土の中で自分のヤワな脳を鍛え直してみたい!という無謀な思いがむくむく。……よくよく懲りない性格です。

ちょうどその頃、山伏の活動が形を成した平安後期から中世にかけての宗教文化を、仏教声楽やさまざまな声の表現から捉え直すという新しいテーマに取り組みはじめたところでしたので、その研究を英語でまとめてみようと思いつきました。

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こうして、またまた予想外の方向へと転がった私の研究生活。
(若い学生にまじっての悪戦苦闘については、音楽科のサイトでどうぞ!)
写真3と4は、2008年4月にニューヨークのコロンビア大学で行われた「修験道シンポジウム」での発表と発表後のディスカッションの様子です。
おまけを一枚。時差ぼけ解消のために歩き回ったセントラルパークの様子です(写真5)。

 

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そうこうするうち、あるとき、もう一つの「無茶のDNA」の存在に思い至りました。
2008年9月に、国際学会で訪れたドイツ、ハイデルベルクでのこと。
ちょうど、ハイデルベルクの音楽大学で、教会オルガニストになる勉強を始めた音楽科の卒業生に会いました。2年ぶりに会う彼女は、目を見張るほどたくましく成長していました。オルガンを深めたい一心でドイツへ渡り、習い始めたばかりのドイツ語でオルガンの練習場を確保しながら、大学入学にこぎつけたといいます。
輝く彼女を見ながら、ふと心の中で「無茶するなあ」とつぶやいたとき、「もしかしたら、この手の無茶は宮城学院のひそかなDNAかも」と、腑に落ちたのでした。

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本学音楽科の基礎を築いたのは、アメリカからやってきた宣教教師、ケイト・I・ハンセン先生でした(写真6)。
ときは明治の終わり頃。若い女性が、船で何ヶ月もかかって来日し、日本語の習得から始めて異国の文化の中で教育にあたるというのは、考えてみれば無謀この上ない話です。
でも、「志」に支えられた「無茶」は強い。
そのDNAが受け継がれながら、次なる無茶のエネルギーを生んでいる!
と思うと、なんだか力がわいてきます。

 

このキャンパスの中で、のびやかな無茶がますます育っていきますように!

 

 

 

 

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