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日本文学科教授 九里 順子

2010.11.17

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こんにちは。日本文学科の九里です。
くのりと読みます。ちょっとこの苗字ないかもしれませんね。
私は福井県の出身ですが、その昔、父が電話帳で調べたところ、九里姓は3軒あったとかなかったとか。

それはともかく、私の専門は近代詩、つまり明治以降の詩です。

 

詩というと何だかとっつきにくいなあと思うでしょうか。
では、仙台に縁もゆかりもある詩人、島崎藤村(明治5年・1872~昭和18年・1943)の詩「草枕」の一節を声に出して読んでみましょう。

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「み」と「ま」の繰返しが加速度的な高まりを感じさせませんか。
七・五にそろえたリズムの枠の中で感情がどんどん膨れていくようですね。
明治時代の詩のスタイルは書きことば(文語)を一定のリズム(定型)に載せる文語定型詩が主流で、声に出すこと、詠うことが前提でした。
ことばの響きとリズムが心を揺さぶっていくこと。それが詩です。

ところで、「近代詩」は文字通り、近代になってからの詩です。江戸時代にはなかった、西洋の「ポエトリー」を手本にした新しいスタイルです。
借り物ではない表現をどのように作り上げるのか。試行錯誤の連続だったでしょう。そのためには、内側からあふれ出る何ものかが必要でした。

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明治29年9月、25歳の藤村は東北学院の作文と英語の教師として仙台に来ました。
当時の感覚からすれば東京から遠く離れた仙台へ行こうと、なぜ決意したのでしょうか。
藤村は東京でも明治女学校で教師をしていました。そこで出会った教え子、佐藤輔子に恋をします。輔子は一歳年上で、既に婚約者もいました。叶わぬ恋に苦しんだ藤村はひとたび教師を辞めて、関西地方を放浪します。

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藤村はその後教師に戻りますが、尊敬していた先輩の文学者、北村透谷の自殺、一番上の兄の収監、生家の焼失、果ては札幌に嫁いだ輔子の病死と、次々に悲劇が起こります。藤村は、さぞや喪失感に襲われたことでしょう。まさに「道なき今の身」です。

葛藤が藤村を突き動かしていきました。心機一転、再生するための土地が仙台でした。

 

「草枕」とは旅の枕のことです。「宮城野」は歌枕、つまり和歌の名所です。
宮城野と言えば、露、萩、虫、秋風と、しっとりとした寂しげな秋の情緒が詠まれました。藤村はそこに情緒を超えた、荒涼とした心の風景を投げ込みました。それは、他と置き換えがきかない藤村の「宮城野」です。

明治も末になると、文語定型詩は人々に息苦しさを感じさせるようになります。もっと率直に、直接的に現実と切り結ぶ声を表したい。
ということで、話しことば(口語)を自由なリズムに載せる口語自由詩へと、時代は舵を切っていきます。一つの形式が完成されると、心という共鳴体は、新たな対象を欲しがるのですね。

 川路柳虹という詩人が明治40年9月に発表したのが、「塵溜」(はきだめ)です。「掃溜めに鶴」ならぬ身も蓋もない「塵溜」。授業でこれを読んだ時に、「シンクの三角コーナーみたいですね。」と言った学生がいましたが、思わず頷いてしまいました。汚さが詩になるというのは、思えば遠くへ来たもんだという感じです。

 さあ、あなたも近代詩に触れて、響きとリズムの奥へ旅してみませんか。

 

 

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